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礼拝メッセージ/Sermon

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6月14日 照内幸代師
「神の箱を迎え入れる」
サムエルⅡ 6章

神様に愛され、神様を愛するダビデが、王様になって第一に取り組もうとしたこと、それがこの神の箱を王都に移し、国で一番大事な礼拝の場所とするということでした。かつて荒野の40年の生活を通して、民がいつも神の箱を中心にし、神様の臨在を大切にして過ごしていたように、国の中心に神様の臨在を据えること、これがダビデ王の最も大きな計画だったのです。

 

しかし神の箱の移設に当たっては、大変な大事件も起こってしまいました。ナコンの打ち場というところまで来たとき、ウザという人が神の箱に触ってしまったのです。神性な神様の宿り所である箱に触ってしまったことで、聖なる神様の怒りが燃え上がり、ウザはそこで命を落としてしまったのでした。

 

え、箱に触ってしまっただけで、死んでしまうの!?と驚かれるかもしれませんが、旧約聖書の時代、神様のきよさ、神様の神聖さというのにはそれほどの力がありました。神様は圧倒的にきよいお方なので、罪ある、神様のきよさにそぐわない者が神様を見てしまったり、聖所に立ち入ってしまった場合、その人は命を落としてしまうということがはっきり書かれています。罪ある人間がそのままでは神の国に入れないように、圧倒的にきよい神様の前では、汚れある者は燃え尽きてしまうのです。

 

これは旧約聖書の時代ではほぼ常識のことで、神様からさずかった法律の書、律法にもはっきりと、神の箱を担ぐことができる人は規定されていました。その担ぎ方も決まっていましたし、直接手で触れてはならないことになっていました。ではどうしてウザは神の箱に触ってしまったのでしょうか。これはまさに、長い間神の箱が放置されてしまった結果、人々が神様の神聖さや、神の箱をどう扱うべきなのかを忘れてしまった、神様に対する敬意がなくなってしまっていたことを意味しています。

 

イスラエルの人達が荒野で放浪生活をしていた時、神の箱は常に人々と共にありました。そこで神の箱がどのように扱われているか、神の箱にはどんな力があるか、神の箱をあなどったらどうなってしまうのか、人々はみんな常識として知っていたのです。それが遠い地方に放置されることになり、しばらく箱の実物も見ない内に、イスラエルの人達は箱にどんな力があって、どのように扱われなければならないのかを忘れてしまったのです。その結果、このように悲しい事件が起きてしまったのでした。

 

神様に対する信仰がないのに、神の箱を町に入れてしまっても、第二第三のウザのような事件が起きてしまうかもしれません。とても自分たちには神様の箱を迎え入れる資格がない、その信仰がないということを悟ったダビデは、近くにあったオベデ・エドムという人の家にその箱を託したのです。

 

さてそこから三か月が経ちました。ダビデの耳に、神の箱があることによって、神様がオベデ・エドムの家を祝福していらっしゃるという情報が入りました。ダビデはこの知らせをとても喜びました。ウザが撃たれたことによって、もしかして神様はお怒りなのではないか、私達の今の信仰のありようでは、神様の箱を迎え入れることはできないのではないかと思っていましたが、そうではなく、神様の祝福は引き続き箱とともにあることを知ったからです。

 

ダビデは喜んでまた神の箱を取りに行きました。今度は箱を担ぐ人達が6歩進んだとき、神様に生贄を捧げました。ダビデは跳ねまわって神様を礼拝し、角笛をふき鳴らして神の箱を王都に迎え入れました。これはすなわち、礼拝をしているということです。神様の臨在を前にして、力の限り神様を礼拝し、精一杯のお祭りをもって神様の箱を運び入れました。こうして国中の人は、神の箱がいかに神聖なものなのか、礼拝すべきものであるのかを学びました。

 

ダビデがあんまりにも飛び跳ね回って賛美し、礼拝するので、ダビデのお嫁さんであるサウル王の娘、ミカルと言う人は心の中でダビデを蔑みました。一国の王様のふるまいとしてはなんてはしたない、みっともないんでしょうと思ったのです。心の中で思っただけでなく、今日は読みませんでしたがそれをダビデにも直接言うのですが、ダビデはそれを気にも止めず、むしろみっともないくらいに神様を賛美したことを誇りに思っていました。

 

ダビデはそれでもへこたれませんでした。神様に救われたこと、神様を賛美できること、礼拝できること、神様に愛されていること、これらすべてのことがダビデにとって最も嬉しいことだったからです。人から理解してもらえなかったとしても、とてもやめることはできない。それくらい、神様と一緒にいることがダビデにとって嬉しくて幸せなことだったからです。

 

私達もこの一週間、それぞれの所に遣わされて行きますが、ダビデのように神様と共に生きる喜びを力として、一週間を過ごさせていただきましょう。

秦野キリスト教会 Hadano Holiness Christian Church

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