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7月26日 照内幸代師
「苦難の中 で望みを持つ」
サムエルⅡ 16章
皆さんはツィバとメフィボシェテを覚えていらっしゃるでしょうか。ダビデが逃亡することになった時、ツィバがたくさんの差し入れをダビデのために持ってきた。これを読む人は当然思うわけです。ああ、ついにメフィボシェテがダビデに恩返しをする時が来たのだなと。ところがそうではありませんでした。メフィボシェテはなんとあっさりダビデを裏切ってしまったのです。
一方で、ダビデからの恩恵を忘れなかった人がいます。それがツィバです。ツィバは骨身に染みてわかっていたのです。ダビデから受けた恩が、どれほど大きかったかということを。本当だったらサウル家の人間として、成敗されてもおかしくなかった自分たちが、ダビデの恩恵により、何不自由ない暮らしをすることができた。王の食卓に招いていただいた。だから彼は危険を冒してまで、ダビデのために差し入れを持ってきたのでした。
メフィボシェテとツィバ、同じ恩恵を受けた二人が、ダビデに対して真逆の態度をとったように、私たち人間の神様に対する態度も、時に真逆のものになりえます。神様からの恩恵は、イエス様の命がかかった、何にも代えがたい莫大な恵みです。でも時に私たちは神様が私たちを愛してどれほど大きな恵みを注いでくださったかを忘れてしまうのです。私たちクリスチャンは、神様が私たちを愛してどれほど大きな恵みを注いでくださったかを知らされた者です。私たちはメフィボシェテのように、恩を仇で返すのではなく、ツィバのように、自分がどれほど大きな恵みを受けた者であるかを、忘れず感謝できる者でありたいと思います。
さて、ダビデの逃亡の場面では、もう一人の人物が登場します。シムイという人です。シムイは逃亡することになったダビデに呪いの言葉を吐くためにやって来たのでした。ダビデの部下アビシャイは、王様を呪うなんてとんでもないことだと、シムイの首をはねさせてくださいとダビデに願います。しかしダビデは自分の部下の方を宥めました。ダビデは部下に、「神様が彼に『ダビデを呪え』と言っておられるのだから仕方がない、そのままにしておけ」と言います。
ダビデのことを愛して祝福していらっしゃる神様が、ダビデを呪えと言うはずがありませんので、ダビデの発言はとんでもないことです。しかしダビデはこのことを認めたのです。神様は、この状況が発生することをお許しになっている。だからシムイがダビデを呪っているのは仕方のないことだと受け止めようということです。
このダビデの言葉は、人間の私達からすると、とても理解できないことのように思えます。神様がダビデを愛し、ダビデを王様として油注いでくださっているのに、なぜ神様はアブサロムが謀反を起こすことをお認めになったのだろうかということです。これは何も聖書の物語に限らず、この世界全体を見渡すときに、私達が時に考え、悩むことではないでしょうか。
この世界のあちこちで、悪い人が怒り、犯罪をしたり弱い人をそそのかしたりしています。神様は全知全能のお方なのですから、犯罪者たちがのさばる前に、神様のスーパーパワーでそういった悪の力を止めてくだされば良いのにと思うのです。私もこの問題をしばらく考えたときに、一つの結論に至りました。神様がこの世界を愛していらっしゃることは間違いない。神様が私達に与えて下さった御子イエス様の愛によってそれは揺るぎない事実である。でも神様は、この世界の悪を人間が自分たちで解決することもまた願っておられる。それによって悪を静観されていることもあるのだろうということです。
もしこの世界の悪い人たちを、いつもいつも神様がスーパーパワーで片づけていたら、それはキリがないということになります。人間はこの世界を、自分たちの手で良くしていくということもまた神様から委ねられているのです。自分達で話し合い、自分たちで平和の道を選び取って行くという人間の側の努力がなければ、この世界が良くなっていくことは非常に難しいでしょう。
ダビデは罪と悪の問題に自分が置かれているということを受け入れました。その上で、人の心を見て下さる神様が、必ず自分に良いものを返してくださることを期待しました。どうしてダビデはこんなにもピンチな状況に置かれていて、それでも神様を信頼できたのでしょうか。それはやはり、ダビデが過去神様に助けられた経験に基づいて、その感謝の気持ちをいつも持っていたからではないでしょうか。過去の経験に基づいて、ダビデの神様に対する信頼は揺るがなかったのです。
私たちもまた、良い時と悪い時があります。人生生きていたら必ずその繰り返しです。しかし揺るがないことが一つあります。良い時も悪い時も、神様は良いお方であり、私達の天の父であり、必ず私達を祝福してくださるということです。私達はこの恵みに立って歩んでまいりましょう。