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8月30日 照内幸代師
「御霊と御力によって」
Ⅰコリント 2章
パウロはコリントに行った時、優れた言葉や知恵によってキリストの救いを述べ伝えることはしないと決めていたのだと言っています。さて、そう言っているということはパウロは勉強が苦手な人だったのかというと、そうではありません。使徒の働きという聖書箇所を読むと、パウロはタルソという町の生まれであったと書かれています。タルソというのは当時のローマ世界において弁論術やギリシャ哲学などがさかんに行われていた学問都市として知られています。実際にパウロの書いた手紙を読んでみると、パウロは当時ギリシャ人たちの間で流行していた弁論術の技法などを積極的に使って手紙を書いていたことが分かるのです。
ギリシャ哲学の知識だけでなく、パウロには優れた聖書の知識もありました。使徒の働きという聖書箇所を読んでみると、彼はエルサレムにいたガマリエルというラビのところで修行を積んだことが書かれています。どうやって聖書を勉強するかというと、紙が貴重な時代ですから、丸暗記して聖書を覚えるのです。パウロも非常に熱心なユダヤ教徒で、彼の書いた手紙を見ると、同じように聖書をたくさん暗記していたことが伝わってきます。
そうやってギリシャ哲学とユダヤ教の律法に精通していたパウロですが、コリントの人たちの所へ初めて行ったとき、パウロはこういった優れた知識や言葉に頼ってイエス様を伝えることはしなかったというのです。一体どうしてでしょうか。先週も少し話しましたが、それはパウロがアテネに伝統をした、使徒の働き17章の出来事があったからでした。
パウロはいつもテモテやシラスという頼りにしていた弟子をはじめ、複数の仲間たちと共に伝道旅行をしていました。ところがべレアというところで伝道していたとき、パウロは激しい迫害にあって、自分たちの弟子たちと離れ離れになって逃げざるを得ませんでした。そうしてパウロはアテネの町に入ります。
一人心細い状況でアテネに来たパウロは、そこでたくさんの偶像が飾られているのを目にするのです。ちょっと日本と似ていますが、皆さんもギリシャ神話とか星座の神話を聞いたらお分かりになる通り、アテネの町にはあらゆる神々が祭られていました。動物の神様とか美の女神とか戦いの神様とか色んな神が偶像になっているわけです。
さらには、「まだ知られていない神、名前もわからない神のために」という祭壇までありました。パウロはそれを見て伝道者としての心が震え立つ思いがして、「あなたたちがまだ知らない神へと言ってまつっている神様がどんなお方なのかお教えしましょう」と言って、パウロはイエス様のお話をするのです。
パウロは自分の持てるあらゆる知識と技巧を用いて一生懸命イエス様の話を語りました。ギリシャ哲学の知識があって、弁論術に長けていたので、はじめはアテネの人たちもパウロの話を興味深く聞いてくれたのです。ところが主イエス様の死と復活の話になった途端、それまで興味深く聞いてくれたアテネの人たちは、突然「ばかばかしい、その話はまた今度聞くことにする」と言って帰ってしまったのです。
これはパウロにとって非常にショックな出来事でした。一生懸命、自分の知識と情熱と、持てる限りのことを尽くしても、それではイエス様の福音は伝わらなかった。これは今まで知識と経験と情熱によってイエス様を伝道して来たパウロに、自分の力ではイエス様を伝えることはできないのだと突き付けられた挫折の経験でした。そこで自分の力というのはすべて手放して、説得力のある言葉ではなくて、御霊と御力によって私は語ろう。コリントでの伝道は、すべて神様の御霊の働きにゆだねようとパウロは決断していたのです。パウロのこの決断は、彼の挫折の経験から出たことだったのです。
なぜ、聖書が語るイエス様の福音は、知識や知恵で人に伝えることはできないのでしょうか。パウロは、神様の救いの知恵というのはすばらしい神の奥儀、とっておきの方策だけれども、それはこの世界の知恵とは全く質の異なるものだからだと言います。10節にある「啓示」という言葉は難しい言葉ですが、要するに神様がご自分を表してくださったということを言っています。神様は私たちにご自分を現わしてくださった。わかるように現れてくださった。だから私たちは神様を知ることができ、神の深みまでも知るようになった。これは御霊なる神様の働きなのだというのです。
私たち人間は神様とはかけ離れた存在です。かけ離れた存在ですから、自力では神様のすばらしさがわかりません。神様は私たちが救われるために、私たちにわかりやすいように現れてくださったのです。そして御霊の働きによって、神様がわかるようにしてくださったのです。神の霊が働かなければ神様のことはわからないのです。神様が私たちの心に神様をわかるようにしてくださったので、私たちは神様がわかるようになっているのです。