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礼拝メッセージ/Sermon

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10月25日 照内幸代師
「すべての人の奴隷となった」
Ⅰコリント 9章17-24節

パウロは、自分はキリストにあって自由な者であると言いつつ、一人でも多くの人を獲得するために、自ら進んですべての人の奴隷となったと書いています。まず彼が書いているのはこういうことですv20「ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を獲得するためです」。

 

パウロ自身は、主イエス様の十字架の死と復活によって神の民とされたと信じているので、もはや一字一句律法に従って生きるということからは自由になっています。しかしユダヤ人にイエス様の福音を宣べ伝えるために、今ではもう効力を持っていないと思っている律法にあえて従って、ユダヤ人たちと良い関係を持ち、彼らに伝道しようとしたことがありました。

 

しかし一方で、パウロは真逆のことにもまた、真逆の態度を取りました。異邦人に旧約聖書の律法を守ることを強要せず、本当に大切なイエス様の教えにだけ従うことを勧めたのです。主イエス様が律法のすべてを成就してくださったから、異邦人はユダヤ人のようにならなくったって、そのままで神の民になることができる。イエス様が私達の贖いのために十字架にかかり復活してくださったことを信じる信仰によってのみ、救われることができると考えたのです。パウロはそうして異邦人たちに寄り添い、彼らに神様の福音を伝えたのです。

 

私は確信しますが、もしパウロが今この時代に生きていたら、きっと彼は日本人のようになってイエス様の福音を伝えてくれただろうと思います。秦野市では秦野市民のようになって、秦野市に生きている人に聖書の話をしてくれただろうと思います。一人でも多くの人を救うために、福音のために私は何だってするんだと言っているのです。

 

なぜ彼はそうまでして福音を伝えてくれたのでしょうか。それは、イエス様がまさにそうやって私達に福音を伝えてくれたからです。イエス様は神なるお方であり、神の御子であられました。それなのに人の姿になって、飼い葉桶の中に生まれて、大工の息子としてナザレの田舎町で育ってくださったのです。

 

なんのためか。私達を救うためです。私達人間が神様のことを知らずに生きていて、このままでは滅びの道を行ってしまうから、私達に神様を指し示し、救いの道を歩ませるために、イエス様は神様だったのに人間にまで下ってくださったのです。パウロは一人でも救うために何でもしたと言いますが、まさに天地がひっくり返るようなことをして私達に命を与えてくださったのが主イエス様なのです。

 

だから今この日本に生きている私達も、イエス様の福音を聞いて救いを受けています。それは初めに奴隷のようにして仕えてくれたイエス様と、その教えにならってこの日本に来てくれたたくさんの宣教師たちがいたからです。

 

私達はそのように救いを受けた者として、今度は私達が神様から派遣される者としてこの秦野市で神様の礼拝者となっています。であるならば、私達は一体どのようにしてこの町にイエス様を述べ伝えることができるでしょうか。やはりこの町に仕えることによって、この町の人々の隣人になることによって、私達はイエス様の救いを伝えることができるのだと思います。

秦野キリスト教会 Hadano Holiness Christian Church

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