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3月8日「安らぎを与えるダビデ」サムエルⅠ16:14-23
皆さんは一体どういう時に心に平安を感じ、どういう時に焦りや不安を感じるでしょうか。聖書が私達に教えてくれていることは、たとえ身の回りが平和であって、衣食住には困っていなかったとしても、私達は平安を失うことがあるということです。それは父なる神様、この世界を治めておられるお方との断絶です。私達の唯一にして絶対の平安は、この世界の何かから得られる物ではありません。父なる神様からいただかなくてはならないのです。今日はサムエル記第一16章の後半から、このことに目を留めて行きたいと思います。 今日の聖書箇所はこんな一節から始まります。「主からのわざわいの霊が彼をおびえさせた」と書かれています。これを読むと私達はびっくりしてしまいます。神様は私達の父なる神様、愛なる神様ではないのか。それなのに神様からわざわいの霊が来てサウルをおびえさせているとは、どういうことだろうと。聖書にはっきり書いてあるわけではありませんが、私の解釈では、これは神様との関係が切れてしまったサウルが、平安を失ってしまった状態にあることを表しているのではないかと考えています。...
hadanoholiness6
2 日前読了時間: 4分
主に愛された子ダビデ(サムⅠ16:1-13)
神様の命令により、サムエルは新しい王を選ぶためベツレヘムのエッサイの元へと出かけて行きます。初めにエッサイがサムエルの前を通らせたのは、エリアブという人です。このあとの17章を読みますと、彼がエッサイの長男であると書かれています。「サムエルはエリアブに目を留め、彼こそ主の前に油を注がれる者だと思った」と書かれています。エリアブという人はおそらく背が高かった、そして人々から好かれる容姿をしていたのでしょう。サムエルはエリアブが選ばれるに違いないと思ったのです。 というのも、これには前例があったからです。サウル王が神様によって選ばれたとき、サウルのことを聖書はこう書いていました。「優れた若者で、その美しさに並ぶ者はイスラエルにおらず、民の誰よりも方から上の分だけ背が高かった」。そのサウルが選ばれた時にもサムエルは油を注いだので、その時の記憶がよみがえり、きっと神様が選ぶのはこの人だ、とサムエルは思ったのかもしれません。しかし神様ははっきりエリアブの選びを否定されました。そこでエッサイは次にアビナダブを呼び、アビナダブも選ばれなかったのでその次にシャ
hadanoholiness6
3月3日読了時間: 4分
2/22 Ⅰサムエル15:1-13 「サムエルの心の痛み」
ことの発端は神様からの命令でした。神様はアマレクという民族を討つようにサウルに命令を下しました。しかしサウルはなぜかアマレクの王アガグを生け捕りにしました。なぜ生け捕りにしたかという理由は書いていませんが、恐らくアマレクを滅ぼしたことを自慢したかったのではないかと思います。また神様はアマレクの家畜もすべて滅ぼし尽くすことを命じられていましたが、サウルと兵士たちはアマレクの家畜の中で良い物があるのを見て、それを処分するのが惜しくなり、それを持って帰ってしまったのです。 これをご覧になった神様は、サウルを王様として選んだことを「悔やむ」とおっしゃいました。これが人間が失敗した時、人間に対して抱く父なる神様の愛なのです。子どもが何かとんでもない失敗をしたとき、人の親もおそらく同じように感じるのではないでしょうか。神様もサウルが失敗をしたとき、それを任命した自分自身への責めの気持ちと、子に対する期待を失った悔やむ気持ちにされました。むしろ、神様がどんな思いでサウルを選び、サウルの存在を喜び、今日までサウルを支えて来たかを知っていたサムエルの方が、サ
hadanoholiness6
2月26日読了時間: 4分
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